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私に教えられることなら

過去の記事を消した・コメント欄を閉じた

いろいろ向き合い方を変えた。

過去の記事を消した

考え方が結構変わりやすく、また昔の記事を読み返して「幼稚だな」と恥ずかしくなることが多々ある。

かなり自分の意見を書きたい欲があるんだけど、残ることを考えると迂闊なことを書けないな、と躊躇ばかりするようになった。

というわけで、記事の内容に関係なく、新しい記事を書いたら同じ数だけ消していくことにした。

いろいろ悩んでて全然成果が出せなかったときに、過去の記事を読み返して自分の成果を確認し、やる気を出そうとしてたこともった。しかしもう、そういったことは起きない、ずっと進み続けられるだろうと確信したので消す。まあそれか消した事を後悔するか、どっちかですね、どっちか。

コメント欄を閉じた

併せてtwitterやブックマークなどの反応も一切見ないことにした。もう殆ど見てなかったんだけど。はてなスターだけは「良い」という評価だけなので糧にします。

そうやって批評に耳を貸さないと自分の間違いを認められず人間的に成長できないのでは、という考えは間違いだと思うようになった。成長には関係ないしデメリットしかない。

まず間違いかどうかが客観的にわかるタイプの事について。例えばプログラミングの知識などだけど、これは間違ったまま覚えてるといずれバグなどに出会って修正されるだろうし、出会わなければ修正する必要もない。面と向かって指摘されると自分は素直に受け入れられるタイプなので問題無いと判断した。間違った記事を書いてしまっても、どんどん消していくので問題は無い。鵜呑みにした人が悪い。

次に客観的に間違いかどうか判断できないタイプの事について。政治信条とか。

これはツイッターを見てると、批判されると狂っていく、としか思えないようになった。自分の意見を肯定する発言を探して同調し、反対意見には耳を貸さず、どんどん先鋭化していく人しか見かけない。確証バイアスや後知恵バイアスの存在を考えると、誰でもそうなるのが普通で、素直に主観的な自説を疑ったり主観的な反論を受け入れる人はどこかちょっとおかしいのかもしれない。(客観的に検証できるものは別)

もちろん自分も例外では無いはず。誰かが見てると意識すると、一貫性を保とうとして間違いを認められず、自分が正しいという証拠や考えを探しそう。

それから、自分を肯定する「意見」も、それはそれで害になりそう。よっぽど親しくない限り、程度の多少はあっても、期待に応えることを自分の意見より優先してしまう、と自己評価している。スターがちょうどいいですね。

というわけで、できるだけ精神の柔軟性を保ちたいので、反応などは一切見ずに好き勝手書いていきます。

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